LIVE ENERGY

現代建築考文 : 藤森 照信

現代建築考 2 立教学院聖パウロ礼拝堂

打ち放しの堂内にステンドグラスの光が差し込む

現代建築考 2LIVE ENERGY vol.72掲載

立教学院聖パウロ礼拝堂

東京大学教授 藤森照信

(写真 = 下村純一)

このところレーモンドの仕事が再評価されており、永年のレーモンドファンとしてはうれしい。チェコの家の跡まで確かめに行ったし、今はなき名作のレーモンド自邸(大正13年)や川崎守之助邸(昭和9年)も実物を見ている。
ひさしぶりにレーモンド作品集のページをパラパラめくっていて、“アレこんなのもあったんダ”と意外な感をもって目を引かれたのが今回のチャペルなのである。
どこに目を引かれたかというと、使われているアーチの形。教会の形全体がアーチの組み合わせ、正確にいうとボールト(カマボコ形の構造体をさす)の組み合わせからなるのだが、世界と日本のモダニズム建築の歩みに関心のある者には忘れがたい形のアーチなのである。
アーチは、ヨーロッパ建築の生命だった。正円アーチ、尖頭アーチ、上伸アーチなどなどの形が史上に現れてその時代の建築を飾っている。ヨーロッパ建築史上に現れた最もダイナミックな構造であり、かつ目をうばう形であった。だからこそ、20世紀建築の開拓者たちはアーチの前で考え込まざるをえなかった。そして、これほど歴史まみれの形など使うわけにはいかない、と、アーチを捨てて水平と垂直の線の組み合わせに突入したのがグロピウス。ライトもこの点は同じ。コルビュジェはというと、当初、グロピウスと同じだったが、彼のなかの造形力が黙っていない。

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回廊側から見た姿が一番いい

“アーチをやれ”、“もっとアーチを”と呼ぶ内側からの声につき動かされて造り出したのがソビエトパレスコンペ案(1931年)のかの大アーチだった。
鉄筋コンクリートの強靱さを生かし、青空高く空を切って駆け上り駆け下りる放物線アーチ。この一度見たら二度と忘れられないアーチは、コンペ案に終り、実現しなかったことで逆に一粒の地に落ちた麦となった。

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放物線アーチの組み合わせからなる外観

イタリア合理主義のリベラが、ブラジルのニーマイヤーが、アメリカのサーリネンが、日本でも丹下健三が(広島ピースセンターのコンペ案など)、計画案のなかで使ったり、実現したりするのはよく知っていたが、やっぱりレーモンドもやっていたのだ。リベラもニーマイヤーもサーリネンも丹下もレーモンドも、グロピウスとミースのバウハウスからではなく、コルビュジェから出発しているが、空駆ける放物線アーチはどうもコルビュジェ派の証明みたいなのである。コルビュジェに魅せられたが最後、一度はこのアーチと取り組まないことには気持ちが落ちつかない、そういう造形。志木の立教のチャペルは1962年の作だから、コルビュジェ派証明アーチとしてはずいぶん遅いが、おそらく、コルビュジェの影響を受けながら、他の若いコルビュジェ派とちがいコルビュジェに対抗意識を持つ身(打ち放しはコルより10年早かった)としては、建築界が“忘れたころ”になってようやくやってみようという気になれたのだろう。

なかなか複雑な思いのアーチなのである。で、見に行った。遠目に見て、アレっと思った。打ち放しのはずが、補修で何か塗られ、テクスチャーから精彩が喪われている。が、チャペルの側面に取り付く修道院的回廊に入って、中庭ごしにみると、さして塗装も気にならず、なかなかいい。アーチが生きている。
チャペルの中に入ると、コンクリート打ち放しの肌は昔のままで、その肌に色ガラスからの光が落ちる。打ち放しの堂内に色ガラスの光、これはコルビュジェじゃなくてペレの代表作ランシーの教会が元。レーモンドは打ち放しをペレに学んで、コルビュジェより早く実現していた。
レーモンドは、このあまり知られていない小品で、自分のデザイン上の二人の先達ともいうべきペレとコルビュジェの両方の造形を試みたのである。レーモンドが本当にその下で働いた経験を持つのはフランク・ロイド・ライトにほかならないが、この作品を見るかぎり、ほとんどその影響は感じられない。

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