LIVE ENERGY

現代建築考文 : 藤森 照信

現代建築考 3 旧・秩父セメント第2工場

工場内部。コンクリートの柱と梁で構成されている空間。手前に見えるのが、今は使われていないコントロールパネル

現代建築考 3LIVE ENERGY vol.73掲載

旧・秩父セメント第2工場

東京大学教授 藤森照信

(写真 = 下村純一)

戦後の日本のモダニズム建築が、世界に強い印象を与えたのは、打放しコンクリートのおかげだった。敗戦国で鉄やガラスには恵まれていなかったけれど、打放しコンクリートの表現なら、アメリカとヨーロッパに負けないで済む。なぜなら、打放しコンクリート表現の良し悪しは、型枠の大工仕事の精度と打ち込み時の人手の量に左右されるからだ。敗戦後の日本には、安い賃金でも精根込めてくれる優秀な大工がたくさんいたし、打ち込み作業、たとえば竹の棒でコンクリートをつついたり、槌で型枠を叩いたりの人手は無限に近くあった。アメリカは逆で、打放しコンクリートの方が高価で鉄骨造の方が安かった。
戦中に一時仮死状態におちいった日本のモダニズムの戦後の再生を可能にしてくれた打放しコンクリートの代表作は数あるが、専門家以外には意外と知られていない傑作を今回は紹介したい。昭和31年につくられた谷口吉郎の秩父セメント第二工場(現・秩父大平洋セメント秩父工場)である。敗戦から11年、日本の打放しと比べるなら丹下健三の香川県庁舎より2年早いし、世界と比べるならル・コルビュジェのロンシャンの教会の翌年にあたる。その早さにまず驚く。
次に驚くには現地を訪れてもらうしかないが、大きい、まことに大きい。高さも高く、長さも長いのが、様々な形をとりながら並んで続く。工場ゆえのダイナミズムにあふれ、なんだかエイゼンシュタインの映画とかロシア構成主義やイタリア未来派の建築プロジェクトを見ているような、今となっては懐かしい気分になる。

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障子や格子を思わせるカーテンウォール

今回、私が訪れたのは、確認しておきたいことが一つあったからだ。伝統の一件である。セメント会社の打放しコンクリート工場に伝統もくそもないだろう、と思うのは歴史を知らない人の浅はかな考えで、戦後の最初の十数年、とりわけこの時期、さらに正確にいうなら戦前の昭和10年代にはじまり戦後の昭和30年代中ばまで、日本の先駆的モダニズム建築家たちの重大なテーマとして“伝統とモダニズム”があった。丹下をはじめ坂倉、谷口、前川、みな考え悩み、さまざまな成果をあげているのだが、谷口はどうしたか。

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いかにも初期モダニズム風な張り出し

工場の中を歩きながら、巨大工場にもかかわらず緻密に練りあげられたディテールに感銘を受けながら、まず一つのことを見取った。柱と梁を表現の中心にしていない。香川県庁舎に代表されるように丹下とその影響を受けた当時のモダニズム主流は、木造の柱・梁の架構の美学を打放しコンクリートのラーメン構造に置き替えることをもって、伝統とモダニズムの連続化を図り、そのことがグロピウスやフィリップ・ジョンソンといった戦後をリードするアメリカ建築家に高く評価され、丹下は世界に出てゆくのだけれど、その柱・梁の美学に、谷口は頼っていないのだ。柱・梁は使っているけれど、一階にしか姿を現さない。隠してしまっている。これは、当時のモダニズムデザインとしては珍しい。柱・梁の美を隠し、代わりに二階以上の表現の主役を張ったのは何か。

カーテンウォールである。それもコンクリート製ではなく、鉄とガラスのカーテンウォール。コンクリートの片持ちスラブと方立てを構造体(柱・梁)から張り出し、それを支持体にして細い鉄とガラスのカーテンウォールを取りつけている。戦後の鉄とガラスのカーテンウォールの先駆的代表作としてあまりに名高いミースのレイクショアドライブアパートメントはまだ出来ていない。鉄の格子状表現で知られる丹下の旧東京都庁舎もまだ。
ここで一思案。この軽やかで繊細な谷口のカーテンウォールの美学は何に由来するんだろう。カマボコ屋根が連なる工場の表通りから鉄道引込線のある裏通りに回り、カマボコ屋根ではなく、上端の水平に切れたカーテンウォールを眺めている時、ピンと来た。ショージ、そう障子。これは障子の美学に由来するんじゃあるまいか。戦後、谷口の再出発を飾る名作の藤村記念堂(昭和22年)の特徴は、障子をモダンな感覚で使ってみせたことだが、それから9年後の作なのである。

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