LIVE ENERGY

現代建築考文 : 藤森 照信

現代建築考 4 NTT東日本研修センタ講堂

玄関の庇。鉄骨の梁の形が面白い

現代建築考 4LIVE ENERGY vol.74掲載

NTT東日本研修センタ講堂

東京大学教授 藤森照信

(写真 = 下村純一)

敗戦から立ち直った日本の建築界には、大空間をつくるという新しいテーマがあった。戦前も公会堂や体育館や市場や格納庫はつくられていたが、そうした大空間で採用される架構技術を表現として積極的に前面に立てることはなされていなかった。鉄とコンクリートという近代構造技術を駆使したモダニズムの構造表現は、戦前の段階では、世界でもコルビュジェもミースもグロピウスも主張しプロジェクトは発表していたが実現はしていない。わずかに建築家というよりは構造技術者のトロハのマドリット競馬場(1935)やネルヴィの格納庫(1941)などがあるばかり。
で、戦後、日本の建築家たちは大空間の構造技術に表現を与えようと取り組むことになる。シェル構造、HPシェル構造、トラス構造、立体トラス構造などなどさまざまな試みがなされているが、さて、それらのなかで現在でも見ることのできるのはと捜してみると、初期のものはほとんど建て替えられ、わずかに健在なのが、今回紹介する内田祥哉のNTT東日本研修センタ講堂(1956)なのである。
内田は、戦後、逓信省(現NTT)の建築家として逓信学園の施設に取り組み、戦後打放しコンクリート第一号となる学生宿舎を手がけているが、今はない。しかし、幸い、打放しコンクリートの柱と梁の上に立体トラスをかぶせた講堂の方は残っている。

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外観。思いのほか扁平に見える

で、写真の下村さんと一緒にはじめて訪れたのだが、天気はいまにも雨が降りそう。半世紀近くたってようやく訪れた建築史家のたいまんを天がおこっているのかもしれない。天気は悪かったが、建物はよかった。この時期のものは残っていても管理が悪くて写真にはならないが、さいわいちゃんと維持管理されており、往年の輝をまったく失っていない。
が、思ったよりずっと小さく見える。理由はドーム型の屋根というのは、視覚上、ドームの頂点が後方へと逃げてしまい実際より低く見えるのと、もう一つ、正面に横一文字に走る玄関車寄せが目を強く引きドームへの視線を弱めているからだ。高さやファサード性を強調しないところはいかにも内田祥哉らしいと言えばいえる。

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内部。鉄骨が細いから膜構造のように見える

水平の車寄せは、どこか日本の数寄屋造りの広く伸びやかな軒の出を感じさせる。屋根はプレキャスト板になっているのに驚いた。もうこのころから内田は工業化の試みに取り組んでいたんだ。パネルを支える鉄骨の梁の形にはほほえまざるをえない。今なら高性能な I(アイ)型鋼一つですますだろうに。言葉は悪いが、オモチャのような鉄骨による懸命な構造。このことは講堂の大空間の中に入り、客席の頭上に大きく広くかかる立体トラスの鉄骨を眺めた時、しみじみ胸に迫る。使われている鉄骨は、今なら農家のニワトリ小屋でしか見られないようなアングルなどの薄い断面の軽量鉄骨なのだ。モヤシのような鉄骨を組み合わせて強くし、それを使って三角形の板をつくり、三角形を6枚つないで背の低い六面体となし、それを次々につないでドームとなす。
溶接はないから、リベットとボルト締め。六本の小トラス梁の集まるジョイントのつくりなんかどうだ。工業製品というより、内田祥哉本人の手内職といった風情だろう。

モヤシのような鉄骨、手内職のような技術でも、これだけの大空間が実現した。戦争による日本の製鉄技術と鉄骨技術の遅れを、自分の工夫でなんとか乗り越えてみせる。そういう戦後の若い建築家の息吹が立体トラスからにじみ出て、空間をひたしている。
この構造を実験中、バックミンスター・フラーがやってきた。鉄の先進国アメリカから立体トラスによるドームの達人フラーが見学にきた。意外にも、フラーはそれまでストレンゲージなどを使うちゃんとした実験などしたことはなく、自分でぶらさがって揺すって試していたという。内田によると、フラーは発明家おじさんという印象で、後に“宇宙船地球号”のコンセプトを出して今日の地球環境問題の先駆的思想者になろうとは思いもよらなかったという。

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