LIVE ENERGY

現代建築考文 : 藤森 照信

現代建築考 6 日本二十六聖人記念館

右に聖堂。左に記念館

現代建築考 6LIVE ENERGY vol.76掲載

日本二十六聖人記念館

東京大学教授 藤森照信

(写真 = 下村純一)

今井蒹次が1962年にこの聖堂を完成させた時、建築界の人は、そのあまりにガウディ色の濃いことに驚いた。今井が世界的に見てもごく早い時期からガウディに関心を持ち研究していたことは知られていたが、ここまで影響を受けようとは。
出現したのは昭和37年。戦後の復興が終わりちょうど高度成長期に差し掛かったばかり、海外旅行など思いもよらぬ頃で、市民の間でガウディはまったく知られていなかったからいいようなものの、今なら“何でガウディなのか”あれこれかしましかったろう。
それにしてもどうしてガウディだったのか。出来て42年経った現在の目で眺めるべく、訪れた。
駅の周りには高いビルが立ち、かつてのように丘の上にスックと立つ姿が遠望できないのは残念だが、曲がりくねった坂道を上り小さな公園に出ると、左手に記念館が右手にガウディ風の塔を持つ印象深い聖堂が見えてくる。
ひさしぶりに訪れて、気付いたことがある。かつては、ガウディとの類似性ばかり目に飛び込んできたが、改めて眺めると、非ガウディ色もけっこう強い。
けっこうどころか、そうとう強い。聖堂の上の方半分を見るとガウディだらけだが、下半分を小公園の方から見上げてみよう。

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聖堂のガウディ風の双塔

どこにガウディがある。縦のルーバーがずらりと並ぶのはル・コルビュジェのラ・ツーレットの修道院(1960)だし、四角な枠の中に鐘を吊る現代彫刻のような“鐘楼”もそう。側面にはル・コルビュジェのロンシャンの教会(1954)の例の四角な穴のような窓もある。
ル・コルビュジェが生涯に実現した二つのキリスト教施設から存分に引用している。 私がこの度訪れようと思った直接の理由は聖堂のインテリアで、打放しコンクリートになっていた。

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かつては打放しコンクリート仕上げだった聖堂内

竣工時の写真で見ると、打放しコンクリートの洞穴といった感じで、そこを見たかったのだが、残念ながら改修され、白く塗られていた。
もし打放しがそのままだったら、もっと強くル・コルビュジェを感じただろう。
“日本26聖人記念館はコルビュジェの上にガウディを重ねたもの”というのが現在の目からの正確な判断となる。ル・コルビュジェの建築本体の上にガウディの屋根をかけた、といっていいだろう。
そういう視点で改めて建築を眺めてみた。内部の打放しが消えたことはかえすがえす残念だけれど、ル・コルビュジェとガウディは意外としっくりいってるではないか。木に竹を継いだような違和感がない。
ふつう、20世紀建築の中ではル・コルビュジェやミースのようなモダニズム主流派と最も対称的なのがガウディと見なされている。正反対な造形的本質と思われている。実際、両者の実物の前に立つと印象は正反対というしかない。

なのにどうして、長崎駅前の丘の上では、コルの上にガウディが乗って変でないんだろう。
コルの造形とガウディの造形のバックボーンが似ていた、という事情がまずあるだろう。(現・ロシア)も人工衛星は飛ばしていたものの、宇宙ステーションはつくっていなかった。ということは、宇宙ステーションのまだない頃に、池辺は、暗い宇宙空間に浮かぶ銀色の宇宙ステーションのイメージをとらえていたことになる。
そういう造形的無意識の共通性だけでなく、やはり打放しコンクリートが利いているのではないか。“打放しとは現代建築による大地の表現である”というレーモンドの視点に立って考えると、スペインの大地に深くインスピレーションを得ていたガウディの造形は、大地という地下通路を経てコルビュジェへとつながっていた。
おそらく、今井兼次は、そのことを見抜いていた世界でただ一人の建築家だったのではあるまいか。

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