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現代建築考文 : 藤森 照信

現代建築考 7 日土小学校

校庭側からの全景

現代建築考 7LIVE ENERGY vol.77掲載

日土小学校

東京大学教授 藤森照信

(写真 = 下村純一)

知らない読者の方が多いに違いないが、昭和33年につくられた“日土小学校”である。ヒヅチと読む。
実は私も知らなかった。ドコモモ(世界近代建築保存委員会)日本支部が選定した日本の近代建築20選のなかに、丹下健三の代々木のプールや坂倉準三の神奈川県立近代美術館と肩を並べて入っているのでその存在を知った。今は亡き設計者の松村正恒(1913~1993)さんには、生前、何度も会ってよくしてもらっていたのに、昔の仕事についてはうかつにもチェックしてなかった。
日土小学校の出来たころの評価はとても高かったらしく、2年後の『文芸春秋』誌の「建築家ベストテン-日本の10人-」のなかでは、前川、丹下、村野、芦原、池辺、谷口、菊竹、白井、吉阪と並んで選ばれるほどだった。評価の理由は、地方にあってちゃんとした建築をつくっているから。
でも、私が建築に目覚めるずっと前になされたこの評価を後に知った時、地方の建築家に対する中央の選者(建築評論家たち)の温情を感じて、ちょっとイヤだった。
はたして竣工当時の高評価は温情だったのか否か。また現在のドコモモの評価はどうなのか。そのあたりを見極めようと、出掛けたのである。
遠い。松山空港から松山駅に行き、そこから特急で八幡浜駅へ。さらに車をとばして山の谷間を川に沿って入ってゆくと、やっと現れる。

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二階のバルコニー

先生に来意を告げ、どうぞご自由にということなので教室の椅子に座ったり、運動場にたたずんだり、川向うから眺めたり、二時間ほど自由に見ての私の評価は、カメラが知っている。36枚撮り一本以内で済むと思っていたのに、二本でも終わらず、三本持って来なかったのを悔やんだ。山あいのわずか数教室の小さな学校に撮るべきディテールやシーンがこんなに隠されているなんて。
一番の見所は、やはり、裏を流れる川の対岸から、川に張り出す二階のバルコニーの光景だろう。ピッと張り出すシャープな軒、斜めに走ってその軒とバルコニーを支える支柱。川を意識した見事なデザインに違いない。もしこのつくりがなかったら、よほど印象は凡庸化した。

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廊下から教室へのアプローチ

こうしたデザインと並んで工夫の限りを尽くしているのは平面計画で、校舎と廊下の間に小さな中庭をとり、かつ二階廊下を半階分下げ、当時一般的だった片廊下式教室配置の弱点を克服してみせた。廊下側からも光は入るし、廊下を歩く他のクラスの生徒が授業の邪魔にならない。
二階の廊下と教室の間に段差をつけ、廊下からゆるやかな階段をトントンと踏んで教室に入るわけだが、空間と空間の間の段差と相互貫入というユニークな工夫をみて、私はすぐに土浦亀城邸を思った。土浦邸は木造によるバウハウスデザインの好例として知られるが、段差による各室空間の相互貫入というバウハウスにはない独特な工夫をしており、土浦先生によると師のライトから学んだもの。松村正恒は、土浦邸(1935)が完成したちょうどその年に土浦事務所に入っているのである。おそらく、ライト→土浦→松村と伝わった、と私はにらんでいる。

川に張り出すバルコニーのデザインの元をたどると、前川・丹下による岸記念体育会館(1940)に行き着く。コルビュジェ流のダイナミックなモダニズムの日本木造版。
日土小学校は、昭和の初期に日本でのみなされた木造モダニズムという世界的には特異な努力の、そのさまざまな成果を引き継ぎ、一つの大輪の花にまで高めた作品、と評価していいだろう。木造ゆえの軽やかさとやさしさがこれほど生かされているモダニズム建築は他にない。
松村正恒は、土浦事務所を戦中に離れ、戦後、出身地の八幡浜市役所に入って、学校をはじめ公民館、図書館、病院などの公共建築を手掛けたのである。

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