LIVE ENERGY

現代建築考文 : 藤森 照信

現代建築考 15 善光寺別院願王寺

32年前のあの印象深いファサードは、今はアルミサッシュとガラスのカバーに隠されている

現代建築考 15LIVE ENERGY vol.85掲載

善光寺別院願王寺

東京大学教授 藤森照信

(写真 = 下村純一)

日本は、一流の建築デザイナーが木造建築にも腕を振るう世界にもまれな国で、戦後60年間を振り返っても数々の名建築が生み出されている。伝統の木造をモダンに再構成したデザイン、木造のミースとでも言うような作、などなどさまざまなタイプがつくられ続けているが、私にとって今も忘れることのできない衝撃の一作となると、これはもう<山崎泰孝の願王寺>につきる。1975年に完成した名古屋の善光寺別院の願王寺である。衝撃は私だけでなく、大枠としては伝統的なお寺のスタイルにも関わらず審査員の心をうち、日本建築学会賞に輝いている。
それから30有余年、はじめて訪れた。
訪れて、エッと思った。目の前に現れた寺の表情は記憶とはそうとう違っていたからだ。全体の形、プロポーションは同じだが、目鼻だちというか表情の細部が違う。大きな妻壁全体がアルミサッシュのガラスでカバーされている。妻壁の木の方立と水平材の間にはガラスがはめられていたのだが、その木部とガラスの間から雨が入りついには滝のように流れ、しばらくして、アルミサッシュとガラスのカバーを取り付けたと言うのである。そのデザインは山崎さんではない。

img01

中は昔のまま。古い柱と梁が鉄骨で直に補強されている。補強と言うよりは、鉄骨造になっている

御住職の櫻井克明氏に、建物の来歴を聞く。願王寺が善光寺別院と名乗るのは、長野の善光寺に“善光寺詣り”しなくとも同じ御利益があるようにとつくられたからで、全国に同じような別院が200数ヶ寺を数えると言う。昭和9年に工事途中で止めた本堂を幼稚園に使っていたが、寄進があったので完成させることにして、その設計を山崎さんに頼んだ。戦前の工事途中の“荒れ寺”の料理が山崎さんに託されたのである。
工事途中で止まった寺だったからこそ、山崎さんはあのような大胆不敵な手の入れ方をすることができたのだが、古い写真を見ると、入母屋屋根に軒が一層付く寺が写っている。工事途中で終わり、幼稚園に使われていたとはいえ、入母屋屋根と軒を撤去するのはふつう躊躇するが、さすがは山崎さん、既存の屋根と外回りは捨て、中の柱と梁だけを残した。

img02

中からは当初のファサードが分かる。木とガラスの微分がいい効果をあげている

中の柱と梁を残し、かつ鉄骨で補強し、新たに急傾斜の屋根を付け、ファサードの妻壁を立てた。外側はすべて山崎さんの新しいデザインだった。
私は大きな誤解をしていた。古い善光寺別院建築の、保存と再利用の問題として考えていたのだが、そうではなく、基本的には山崎泰孝という建築家の30有余年前の新作なのである。
それでも、衝撃は変わらない。幸い変わらない。どう変わらないのか。
異質な材料の混合、という衝撃は変わらない。サッシュの内側に隠れてしまったが、室内側から見上げると今も木の方立と水平材の間にはガラスが直にはまっている。木とガラスが突き合わされているのだ。ふつうは窓枠や桟の存在が両者の激突を中和してくれるが、ここではガチンと当たっている。設計者は意識的にそうしている。

木とガラスの激突に加え、もう一つの鉄骨が異種混合戦に参戦し、保存された古い柱の裏側から副柱的に古い柱を支えている。鉄骨は板でカバーすれば隠せるのに、直に古い柱とつながれている。
言ってしまえば、木と鉄とガラスの三つの材料が、一つの空間の中で混じり合っている。混じり合っているのだが、なぜか木に竹を継いだような異和感、異物感はない。混じることで、むしろ逆に活気が生まれている。異種の混合が事態を活性化させているのだ。
一歩間違えば大失敗だった。一流建築家が異種混合に失敗した例を二例知っているが、願王寺ではなぜ成功したのか。竣工時の妻壁が秘密を教えてくれる。木とガラスという二つの異種を微分して使ったのだ。木もガラスも小さなピースに微分され、その上で積み重ねられた。ビンの中の水と油も、良く振って粒を小さくするとしばらくは分離しないのと同じ。

一覧ページへ戻る

LIVE ENERGY