LIVE ENERGY

現代建築考文 : 藤森 照信

現代建築考 16 星薬科大学本館

ライトが在日中に計画した劇場案に似ている

現代建築考 16LIVE ENERGY vol.86掲載

星薬科大学本館

東京大学教授 藤森照信

(写真 = 下村純一)

アントニン・レーモンドは、戦後になってから昔を振り返り、戦前の段階で自分が世界の20世紀建築史に先駆けた試みとして、“打放しコンクリート”“斜路”“カーテンウォール”の3つをあげている。もちろん念頭に置いているのは、20世紀建築の世界の巨匠のル・コルビュジェとミースの二人で、打放しと斜路はコルビュジェより早く、カーテンウォールについてはミースより早いと主張しているのである。
いったい本当のことだろうか。これはレーモンドの世界的評価に関わる大問題である。
 “カーテンウォール”については、すでに19世紀の段階で出現しており、ここではふれない。
“打放しコンクリート”は、よく知られているように、フランスのオーギュスト・ペレが先行し、すぐレーモンドが続き、10年遅れてル・コルビュジェが二人の後を追ったことを、私はかつて明らかにしたので、ここではふれない。
今回は“斜路”について取り上げよう。打放しやカーテンウォールに比べ一見すると重要でないテーマにも思えるが、空間の動きを気にする20世紀建築家にとってはあだやおろそかにはできなかった。なぜなら、空間の上下の動きに深く関わるからだ。
20世紀建築以前、やれネオ・バロックだゴッシク・リヴァイバルだといった歴史主義建築の時代、上下の動きは階段に頼っていた。その代表がパリのオペラ座で、オペラ座の大階段室を昇ってゆく時、人々は強い昂揚感を覚えずにおかなかった。重力に逆らって空間を上方へと移動する感動である。

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のびやかに伸びる世界最初の斜路

大階段が人々にもたらすこうした建築的感動を、階段に頼らずにもたらしたい——これがコルビュジェの願いの一つになる。
彼はこの願いに斜路によって答えようとする。プロジェクトに終わったソヴィエトパレス案では大々的に試みているし、実現した例では、サヴォア邸とか東京の国立西洋美術館とかが知られている。コルとレーモンドがらみで言うと、コルのエラズリス邸案を実現したレーモンドの夏の家(1933)がある。夏の家ではコルの原案に従って印象深く斜路を実現したレーモンドが、“斜路は自分の発明”と言い張るのはいかがかと思うが、レーモンドには自分の発明と言い張るだけの根拠があった。それが、今回の星薬科大学校舎なのである。

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大きい。立体トラスによるこれだけのドーム空間は初かもしれない

20年ぶりに訪れて一安心。大学によってちゃんとメンテナンスされ、往年の輝きは失っていない。記憶では、斜路は星形の天井の大講堂のためのものだったが、改めて大学の人に伺うとそれは不正確で、大講堂を含めて校舎の全用途は一つ建物のなかに収まっており、斜路は大講堂のみならず大学の全室の上下動線にほかならない。創立期の星薬科は今よりずっとこじんまりした大学だったのである。創立者の星一は、アメリカのコロンビア大学の出であり、コロンビアのモニュメントのロウ図書館をモデルにしたとの説もあるが、専門的にはそれはむずかしい。

まず全体の印象を述べると、フランク・ロイド・ライトから独立した直後のレーモンドの特徴をよく現している。学生時代にプラハで目撃したチェコ・キュビズムと師のライトの混合と言えばいいか。
でも二つの点では独自性を出している。一つは鉄骨の立体トラスによる大ドーム。
レーモンド以前に立体トラスはやられているかどうか。そしてもう一つが、斜路。
大きな斜路が行ったり来たりしながら上へ上へと昇ってゆく様子は、ちょっと前例を思い付かない。確かに大階段に代わるものとしての大斜路と言えるのだが、はたしてコルビュジェより早いかどうか。確かめてみよう。

  • ・星薬科大学、1924年竣工。
  • ・コルの斜路第一作のラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸、1925年竣工。

レーモンドの方が確かに1年早い。

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