LIVE ENERGY

現代建築考文 : 藤森 照信

現代建築考 17 福島県教育会館

ホール内部

現代建築考 17LIVE ENERGY vol.87掲載

福島県教育会館

東京大学教授 藤森照信

(写真 = 下村純一)

阿武隈川のほとりに建つ大高正人の〈福島県教育会館〉である。と言ってもピンとこない読者の方が多いかもしれないが、戦後復興期の建築界をいろんな意味で象徴する建物であった。
まずその社会的象徴性から。 施主は福島県教員組合(県教組)で、敗戦の反省から、“平和と民主主義”を旗印に立ち上がった先生たちの一人毎月100円の積立金を基に、組合員と市民が使う文化会館としてつくられている。労働者が市民の文化向上のためにつくったのである。
この建物に関わった建築家や建築評論家の当時の言葉を建築雑誌に拾うと、「民衆の生活のエネルギー」(大高正人)とか「民衆の逞しい生活力を反映するもの」(足立光章)とか「半封建的資本主義の矛盾が鬱積する地方社会の悪循環に、打込まれた楔としてこの平和の箱の発展を期待したい」(ミド同人)とか出てくる。 敗戦後の焼跡の上に、まず飛び出して走ったのは丹下健三で、広島ピースセンター(1955)によって新しい建築の時代の開幕を告げた。そして、第二弾として続いたのがこの建築なのである。
第一弾のピースセンターをめぐっては、「伝統論争」が起こって、“伝統とモダニズム表現の関係”が語られた。ピースセンターなんだから“平和と建築”が語られるのがふさわしかったと思うが、なぜか語られていない。

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左手が折板とシェル、右手は柱・梁。コントラストが効いている

ヒロシマは“平和”とはつながっても、戦後のもう一つの大命題であった“立ち上がる民衆”“社会主義的変革”とはつながらなかった。そして満を持すようにして社会主義と民衆が取り上げられたのが、県教組が民衆のためにつくったこの建物だったのである。
ピースセンターを「伝統論」として、福島県教育会館は「民衆論」で、こういう順を考え、建築界に仕掛けたのは『新建築』の編集長の川添登だった。この建物をめぐっては、大高正人、川添登をはじめ誰もが社会主義的発言をしているが、それは当時の建築界の若い連中の一般的傾向で、例外は丹下健三くらいだった。

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打放しコンクリートによる柱・梁の今でも清楚で美しいロビー空間

でも、今、この建物を見て「民衆」を想起する人はいないだろう。戦後の歴史の中で、「民衆論」は阿武隈川に流れて消えた。
民衆論が消えたからと言ってこの建物の歴史的意味までなくなるわけではない。
ポイントは左手の講堂にある。壁がジグザグに折れ曲がり、その上には大きく波打つ屋根スラブが乗る。ジグザグは“折板構造”で、波打つのは“シェル構造”。折板とシェルのコンビは、9年前に開かれた広島の世界平和記念聖堂コンペの前川国男案で提案されているが、その時スタッフとして働いた大高が、実現したのである。

折板とシェルのコンビには、当時ならではの歴史的意味があった。
戦後復興を告げる第一弾は丹下のピースセンターだったと先に書いたが、その構造は打放しコンクリートによる柱・梁構造だった。柱と梁の垂直と水平による構造美である。丹下が第一弾で実現し、これによって丹下は世界のタンゲへの道を歩み始めるわけだが、一つ難点があって、大空間には使いにくい。美学上も、ダイナミズムには欠ける。
この難点を鉄筋コンクリート構造の枠内で克服するには、折板とシェルという“面の構造”によるしかない。
丹下とそのライバルの前川国男グループのどっちが先に実現するのか、建築界はかたずを飲んで見守っていた。先行したのは丹下で〈広島子供の家〉ほかをシェルでつくるが、折板とコンビではなかった。
コンビは前川国男グループの大高正人がトップを切るのである。
この建物の右手の方は柱・梁の打放し構造になっているから、左右合わせれば、折板、シェル、柱・梁、と戦後の鉄筋コンクリート構造のすべてが集結した。
「民衆論」ではなくこれが、福島県教育会館の歴史的意味である。

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