LIVE ENERGY

現代建築考文 : 藤森 照信

現代建築考 18 野中保育園

多目的な裏通路

現代建築考 18LIVE ENERGY vol.88掲載

野中保育園

東京大学教授 藤森照信

(写真 = 下村純一)

建築関係者であれば誰でも、建物が生き生き使われることを願うだろう。それが理想と言う人もいるかもしれない。でも、その割には、生き生きと使われている実例について話題になることは少なく、話題になるのはもっぱら新作か過去の名作ばかり。新作として世に出た後、どう使われているかなんて、建築界では実はほとんど話題に上らない。唯一の例外を除いて。
それが、野中保育園。1972年完成と言うから今から36年前、仙田満の設計で実現している。

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建物と人と物品が渾然一体となった保育室の昼寝風景

水遊びのシーズンに訪れようと思い、この度、出掛けた。門から入ると、数本の柿の木の向こうに低い屋根の群れがわだかまっている。向こう下がりのゆるい傾斜面に沿って、身を伏すように、平屋の園舎が広がっているのだが、来訪者の目は、建築よりはどうしても子どものいるシーンの方に引き寄せられてしまう。 右手のプールの中で、保母さんに見られながら、子どもが1人遊んでいる。どうして1人なのか? 左手の園舎の庭には水場があって、幼児が2人、保母1人。後で聞いて分かったが、その日のスケジュールは一応組んであるものの、いつどこで何をするかは園児の自由にまかされている。私たちが門を入ったのは昼寝の時間だったが、まだ遊び足りない子どもが1人プールに残っていたし、早く目が覚めた幼児が2人、水で遊んでいたのである。

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外は水場だらけ。
ドロンコ保育、大地保育で、全国に名が通る

で昼寝時間なので、邪魔にならないよう保育室を避けて、裏の通路的多目的空間を通り抜けた後、突き当たりの保育室にそっと入り、小さな階段を上り、中2階的小通路を背をかがめながら通り抜けつつ、保育室の昼寝シーンを眺め下ろした。多目的裏通路も中2階的小通路も見事なプランニングと思ったが、それ以上にこの建築のエッセンスに触れた想いがしたのは、昼寝中の子どもたちのシーンだった。子どもたちは眠っているのに、それでも、保育室には生気が立ち込め、充満し、空間が息づいているように見える。生き生きと使われるということは、こういう状況を指すのだ。

設計するにあたり、仙田満は、一年間通って観察と体験を重ねたと言うし、実際、内部でも外部でもない「第3の空間」とか、明確な機能を持たない「すきま」とか、アジール的な「へそまがりの空間」とか、さまざまな工夫をしている。突飛な行動を引き出すための「舞台」とか、呼び掛けの装置としての「テラス」も含めれば、子どもたちのために、建築的工夫の限りを尽くしていると言っていい。
こうした使う側に立っての建築的工夫の限りを尽くす建築家としては象のグループが知られるが、結果は違う。象は限りを尽くして建物をつくっているが、実際に訪れて見ると、使う側が限りを尽くしてはいないのが寂しい。つくる側の意欲が空回りしているというか、十のものを六、七に使っているというか。 ところが、野中保育園ときたら、建築家の工夫の限りを、使う側が使い切っている。いや、使い切り、使い倒している。使いに使って、建築を越えてしまったような印象すらある。
仙田に設計を託した創立者の故・塩川豊子は、自由学園の羽仁説子に影響を受け、「太陽と水!裸とドロンコ!原始に戻った自然の中で」をモットーとする「大地保育」の提唱者だった。
7,000のゆるい傾斜地の中には、柿の木はじめさまざまな立木が茂り、小川が流れ、水がたまり、ブタ、ウサギ、イヌ、ネコが育ち、建物と人と物がせめぎあっている。
そうした湧き立ち、あふれ返るような自然と物と人の中で、仙田の建築はどう見えたかを最後に記しておきたい。奇妙な言い方になるが、壁から下は、植物と動物と地べたと人の動きの中に解消し、屋根のあたりだけがそれらの上に帽子のように浮いているように見えた。

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