LIVE ENERGY

現代建築考文 : 藤森 照信

現代建築考 20 名護市庁舎

町の側からのパーゴラとブーゲンビリア

現代建築考 20LIVE ENERGY vol.90掲載

名護市庁舎

東京大学教授 藤森照信

(写真 = 下村純一)

ひさしぶりのナゴ。“風の道”が空調に取って代わられたとか、パーゴラの上に這うはずのブーゲンビリアが這わないよう伐られてしまったとか、後の変化を聞いていたから、再会するまでは心配だった。
でも、心配無用。名作は、相も変わらず元気一杯、南国の輝く太陽、あふれる緑に負けず劣らず、精彩を放っていた。凹凸の激しい外壁は、ピンクの帯がやや色褪せたとはいえ、明暗のコントラストの強さは変わらないし、シーサーの群の楽しい表情も同じ。
具体的な図像を嫌う世界の戦後建築のなかで、シーサーを使って、しかし現代建築としてヘンでなかったのはナゴくらいだろう。設計した象グループは、この後もいろんな具体的図像を採用しているが、失敗した例の方が多い。うまく行く行かないの分岐ポイントがデザイン上どこにあるのか、斜路を歩きながら考えてみたがすぐには思いつかなかった。こうした本質的問題には、客観的な答えがかならずある。

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シーサーのある海側ファサード

シーサーが海に向かって居並ぶ表から裏に回り、といっても裏側が町につながるから実用上はこっちが表なのだが、各階に張り出す広いテラスを平面に従ってジグザグに歩きながら、昔見た時には薄かった印象を今度は強くした。
建築と緑の関係についてである。昔の私はこの方面に関心が薄かったのだろう。海側のシーサーのファサードの建築表現ばかり気を取られ、町側の緑と建築の関係表現はさほど印象に残らなかったのだ。
でも今後はちがう。緑と建築の関係については古今東西のいろんな例を見歩いてきたし、自分の設計でも中心テーマの一つに据えてあれこれ試してきている。そうしたプロの目で見て言うのだが、刮目すべき例だと思う。

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テラスとその上にかかるパーゴラ

ポイントは、テラスとその上にかかるパーゴラにある。この空間が建築の中と外をつなぐ働きをしているのは誰でも気づくが、効果をあげているのはその広さだろう。これくらいの広さがないと、実用上も表現上もただゴチャゴチャして終わってしまう。ここまで広くしたのは象の慧眼というしかあるまい。
でも、象の設計意図と異なり、ブーゲンビリアは地上階止まりで、2階以上の立派なつくりのパーゴラには這い上がっては来なかった。象における這い上がり失敗は、今帰仁村中央公民館のブーゲンビリアでも進修館の巨峰でも見ているが、ツル性植物の這い上がりには根本的難点でもあるんだろうか。

手がかりを与えてくれたのはベンチで読んだ谷口の一文だった。土間の廊下(展示室)から外側に足許にのぞく坪庭の見え方は、例の孤蓬庵の茶室“忘筌”の障子の入口に学んだというのである。たしかに、壁の下半分しか見えない。
ブーゲンビリアは来なかったが、代わりに、庁舎を使ってる人たちが、あれこれの自然を持ち込んだ。広いテラスには大小の鉢植えが置かれ、手スリの上部には板で台をつくって、小鉢がズラリと並ぶ。当初はなかったにちがいないテラス上の庭園もつくられ、南方の植物がパーゴラまで背を伸ばしている。それだけではない。小さなビオトープまで出現し、目を凝らすとメダカが泳いでいる。
テラスを舞台とした、建築と自然の織りなす幸せな光景をはじめて目撃し、私は考えた。建築の勘所は何か。 すでに述べたように、広いこと。そして次は、テラスの手スリが穴開きブロックで、パーゴラも大きな帯状の穴が開いていることから分かるように、テラスのつくりが多孔質であること。
外側の自然と内側の部屋との間に、多孔質な空間があって、そこに外からは自然が、内からは人間活動がしみ出し、混じり合う。
そしてもう一つ忘れてはならない建築的ポイントがある。自然の力は強い。受け入れる姿勢を見せると、かさにかかって強く出てくる。植物やムシ(昆虫、ハ虫類、ミミズなどを昔は意味した)の繁殖力をなめるとひどい目にあう。そうした強い自然を建築が受け容れる時、機能上も表現上も建築を強くしないと釣り合わない。 強い自然と強い建築の頂上決戦、がっぷり四つの大相撲、それが名護市庁舎だったのである。

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