LIVE ENERGY

現代建築考文 : 藤森 照信

現代建築考 21 浮田山荘

道路側の景

現代建築考 21LIVE ENERGY vol.91掲載

浮田山荘

東京大学教授 藤森照信

(写真 = 下村純一)

このシリーズ、もっぱら戦後のモダニズム建築を取り上げてきたが、今回はヴォーリズである。近江八幡を本拠に、大正から昭和戦前まで、洋風のミッション建築と住宅の名作を残している。近年、普通の人の人気は急上昇中だが、今回、そうした洋館建築家としてのヴォーリズを取り上げようというわけではない。
“建築空間の極限”への関心からだ。分かりやすく言うと、建築表現として魅力を保ちながら、空間はどこまで狭く小さく出来るのか。もし、小さくした果てに、この先はないという状態があれば、これが建築というものの単位空間となる。物質における原子(今ではクォークなどが極小単位)のように。
極限空間を求める動きは、世界の建築史上、二度しか起きていない。一つは、16世紀の利休の茶室。もう一つは、コルビュジェや池辺陽の仕事で知られる20世紀の最小限住宅の試み。
この二つに加えてもう一つ、表現追究の要素が貧しいから建築史上の動きとは言い難いが、アメリカ開拓者の小住宅がある。彼らは、当初、しかたなく小さな家に住んでいたが、やがて、その小ささを開拓時代の住まいの記憶として大事にするようになり、好んで小さな木造別荘をつくるようになる。

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乱石積みの煖炉に注目

日本での実例としては、軽井沢の旧堀辰雄別荘が知られているが、明治末年、アメリカ人貿易商のためにつくられたということのほか分かっていない。同じ軽井沢にもう一つそうしたアメリカ系の木造小住宅があると知ったのは、ヴォーリズ展の会場でだった。ヴォーリズが軽井沢に自分の新婚用の別荘を大正9年(大正11年との説もある)に建て、
「九尺二間の家」
と呼んでいたというのである。九尺二間とは江戸の下町の貧しい長屋を指し、面積にすると一間半×二間の3坪。極小住宅と言っていい。

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増築前の平面図:「婦人之友」誌(大正11年)掲載の平面図より

で、取材に出掛けた。今は、ヴォーリズの会社から譲り受け、画家・浮田克躬のご遺族が使っておられる。
建物を眺め、左手への後の増築部分をのぞいても、九尺二間よりは大きい。目測で計ると、2.5間四方よりちょっと大きいくらい。面積にすると6坪強。九尺二間はヴォーリズの誇張だったが、でも6坪強なら極小住宅と言ってかまわない。

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道からの見上げ。これも煖炉に注目

まず外観から。道から見上げ、庭から眺め、後ろの山から見下ろし、矯めつ眇めつしたが、いい。なかなかいい。道から見上げると、壁から突き出して軒の上に抜ける煙突が利いている。粗い自然石の固まり的造形が、軽い木造に一本グンと背骨を通したような趣き。
庭から見ると、まん中に大きな窓が一つ。左手に入口の小テラスが一つ。必要最小限のつくり。後ろの山の斜面から見下ろすと、方形屋根がいい。サイコロ状というか立方体的というか、これも必要最小限感が充分。
中はどうか。台所、洗面所のほかに二室からなり、庭に面した居室(食堂兼居間)は、目測によると九尺二間で、ヴォーリズはこの部屋のことをそう呼んだのかもしれない。寝室は1坪半ほどで二段ベッド。

私が注目したのは煖炉だった。その辺から拾ってきたような石を積んでいる。いかにも開拓の小屋。内装は縦羽目板張りに押し縁。乱石積み煖炉も“ボードアンドバテン”と呼ばれる“縦羽目板張り押し縁”も、アメリカ開拓のしるし。
外観に締まりを与え、ただの仮小屋ではない印象を与えていたのは煖炉だったが、インテリアも、この煖炉がなかったらただわびしい住まいになったに違いない。
煖炉の存在感が、外観においても室内においても、ただ小さい空間を越えて、人間の建築たらしめている。
これは、煖炉に積まれている粗い石の力だろうか。木造の中の石積みという点ではそういう効果もあるが、ことの本質は違うだろう。煖炉の力ではなくて、火の力ではあるまいか。利休の茶室も、炉(火)を不可欠とした。利休(とその師の招鴎)以前、茶室に火はなく、使用人が外で点てた茶碗を運んでくるものだった。
利休の茶室もアメリカ開拓者の小屋も、極小空間を生きた空間たらしめているのは火の投入なのである。

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