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現代建築考文 : 藤森 照信

現代建築考 22 親和銀行本店

増築棟の展望室の大梁(?)。縦目地に注目

現代建築考 22LIVE ENERGY vol.92掲載

親和銀行本店

東京大学教授 藤森照信

(写真 = 下村純一)

もちろん白井晟一の代表作に違いない。戦前、昭和12年に伊豆長岡の歓帰荘によって日本の建築界に孤独なデビューをした建築家が、戦中、戦後復興期、そして昭和30年代の高度成長期の後、その成果としてつくったのが、親和銀行本店だった。
昭和42年、この一風変わった建築が姿を現した時、建築界は久しぶりに騒然とした。理由はまことに簡単で、戦後をリードしてきたモダニズム建築の原理とあまりに異質でありながら、しかし、しかし、見る人の心にグイと入り込む力を秘めていたからだ。ある日突然、見知らぬ物体が心の中にゴロンと投げ込まれた、そんな驚きととまどい。建築界が騒然となったのは、今にして思うと、免疫のない体に新型ウィルスが入り込んだ由の発熱現象だった。
以後、様々な言及がなされ、私たち“野武士世代”に具体的影響を与え、そして今に至る。かく言う私も、建築学科に進んですぐ発熱し、建築探偵したのは白井の戦後復興期の作品群だったし、戦前の名作・歓帰荘や戦後の代表住宅・呉羽の舎といった普通は見ることのできない作品も訪れてきた。でも、ある時からこれ以上近づくまいと思い、幸か不幸か親和銀行本店は、外を見ただけで通り過ぎた。
白井の存在を知ってから38年、建築史家として、さらに途中からは設計者として考え続けてきたが、60歳を過ぎて、もういいだろうと思い、この度、銀行の中まで入った。
言いたいこと語りたいこと伝えたいことは山ほどあるが、物と技術と形の3つの言葉を使って分析してみようと思う。やっと冷静に分析可能な段階に至ったのである。

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かつての営業室。梁と壁の接合部の納まりに注目

まず物から。この銀行の衝撃の一発目は、石の使い方だった。当時、日本の建築家がほとんど知らなかったトラバーチン大理石を、2層以上のファサード全面に、それもぶ厚く使ってみせた。一層目の御影石も、厚く粗い。全体の形もいかにも石のカタマリのごとくして、そこに石という物があることを、言ってしまえば石の存在を明示してみせたのである。白井以前、木にせよ石にせよ土にせよ、物の存在論を表現した建築家はいなかった。以後もいない。

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階段室。手すりは継ぎ目なし。よく加工し施工した

技術をとばし、次は形について。入口の右手に御影石の段々が付いている。竣工時から話題になっているが、階段としては狭過ぎるし、第一、上がっていっても行き止まりのトマソン状態。何のためにこんなことをしたかと言うと、それはこの石の壁を正面から眺めると分かるが、目地割りの線を白井好みに合わせるために違いない。好みのパターンに石の存在を合わせる。
こうしたやり方は、至るところに露見し、例えば室内のトラバーチンの扱いを見れば分かるが、外壁ではトラバーチンの目を水平にして置いたのに、室内では縦にしている。トラバーチンはサンゴ虫の堆積石だから目は水平が自然の摂理なのに、そして世界中どこでも水平が定石なのに、どうして室内では縦なのか。石と石の目地を床から天井まで、縦一本線で通したかったのだ。縦目地一本の形を壁面に与えたかった。

存在論としての物。その一方で、物の自然な摂理をねじ伏せる形。ここには明らかに矛盾がある。
この物と形の矛盾が頂点に達するのは、増築した棟の展望室である。大きな木の梁が架かるが、右手は石の壁の上に乗っているのに、左手へと目で追っていくと、その大梁を支える壁も柱も何もなく、空中を飛んだままガラス面の前で止まっておしまい。おまけに梁の途中には垂直に目地がとってある。見かけの上では梁が切れてしまっている。実は、上部の鉄骨から吊り下げた木の大梁状のハリボテなのである。
物の存在は、技術を通してはじめて形を得ることができる。建築において物と形をつなぐのは技術に違いないが、白井の建築はその技術が欠落している。正しくは技術への感覚が欠落しているのだ。
グラフィックデザイナーとして出発した白井ならではの欠落だが、でも、今から振り返ると、この欠落のおかげで、白井の建築表現はポストモダニズムの先駆けとなり、そこにアバンギャルドな連中はすっかりしてやられた、と今にして思う。

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