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甦る建築文 : 矢野 和之

甦る建築 21 はん亭(東京都文京区)

角地に建つ木造3階建の存在感は、現在も薄れたことがない

甦る建築 21LIVE ENERGY vol.83掲載

はん亭(東京都文京区)

株式会社 文化財保存計画協会 矢野和之

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窓越しに裏通りを見下ろす3階の座敷

根津付近は、東京では下町の名残が色濃くあります。同じ上野の周辺でも谷中は、寺町の落ち着いた雰囲気ですが、根津は根津神社(根津権現)の門前町であったため、賑わいのある粋な界隈でした。大正の震災、昭和の戦災をかろうじて逃れ、明治・大正・昭和初期の建物も、少なくなったと言ってもまだ数多く残っています。また、東京大学(東京帝国大学)や東京藝術大学(上野美術学校)などが近くにあったために、文人や芸術家が生活したところでもありました。
東京は、江戸の町が基本となっているのは当たり前と言えば当たり前ですが、震災、戦災、そして近代化の荒波のなかで、旧い町並みのほとんどが消えていきました。そのような中で、江戸の庶民文化を伝える東京下町の文化が最も息づいている場所のひとつが根津と言えるでしょう。

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天井など随所に凝ったつくりがある

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蔵の中は最も人気のある場所の一つ

串揚げ屋『はん亭』は、今やそのような根津の界隈を代表する木造三階建の建築です。このような三階建の木造建築は、戦後建築基準法の成立により造られなくなって久しいのですが、大正から昭和初期にはよくみられたものです。もともと大正六年ごろ建てられた商家でした。現在、一階を椅子席、二~三階や蔵の中を座り席としています。二~三階の窓越しに裏通りが見下ろせ、料理を楽しみながら飲むごとに、かつての風情豊かな旧き良き時代の空気が漂ってくるようです。
明治・大正・昭和初期の和風の住宅や店舗などの建物は、近代和風建築として、そのデザイン、技術ともに評価されています。大工技術の最高到達点はこの近代和風建築にあるのではないかと言われているほどです。これを支えたのは、大工棟梁はもちろんのこと、豊富な知識と確かなセンスを持ち合わせた施主の存在があるのです。江戸時代と異なり、色々な職業の施主が現れ、数奇屋造をベースとした和風建築が新たな展開を見せることになるのです。なかでも、いわゆる普請道楽といった建築づくりが趣味で、希少な材料を使い、技巧の粋を凝らすことに執念を燃やす施主の存在が、レベルアップにさらに拍車をかけたとも言えます。
この和風建築を再生して、レストランなどに活用することが、近年盛んになりました。そのなかでもこの串揚げ屋『はん亭』は、早い成功例でしょう。もともと脱サラして上野で串揚げ屋を開いていた先代は、たまたま歩いていて、ある運送会社の独身寮になっていた木造三階建の古い商家を見つけ、その建築に惹かれて手に入れました。

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店の外面の意匠もよい下町風情を醸し出している

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蔵の横には椅子席が並ぶ

このような古い家を保存再生することは、今ではそう珍しいことではなくなりましたが、当時としては変わり者とみられたようです。初めは、住宅として家族が使用し、一部をレストランに利用していましたが、評判は評判を生み、多くの客が来るようになったので、住宅を他に求め、さらには、店部分や蔵部分を含めて買い取り、レストラン専用としていったそうです。
この時代の木造建築は、現代のものに比べ、構造・意匠とも高いレベルにあります。それは、当時は大工や左官など職人の高い技術が保たれており、その技術に基づいた建築は、金物をできるだけ使わず、継ぎ手・仕口などをもってしっかりした木組みとし、小舞下地に幾重にも塗られた土壁など、構造的に強い建築を造り上げているからです。
建築再生・再利用の成功の第一のポイントは、もともとの建築のクオリティが高いこと、第二に、そのクオリティの高さを見抜く施主、そして価値を保ちながら新たな創造に結びつける建築家の存在があることです。『はん亭』の建物は、もともと大店の商家であったとしても市井の建築です。しかし、この建物の持つ高い技術と文化性をベースにその価値を引き出すことに成功しているでしょう。
過去と現在の人々とのコラボレーションがあって、はじめてこのような作品を造り上げることになるのです。

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