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甦る建築文 : 矢野 和之

甦る建築 23 洗心亭(長野市)

洗心亭の内部には茶室が設けられている

甦る建築 23LIVE ENERGY vol.85掲載

洗心亭(長野市)

株式会社 文化財保存計画協会 矢野和之

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すき亭の敷地の一角に建つ洗心亭

長野市の郊外にある地元で有名なすき焼き屋さん「すき亭」の一角に、寺院風、楼閣風の大きな建物が建っています。中に大きな仏像でも入っていそうなこの建物は、実は長野県中野市にある渋温泉の「大湯」だったもので、明治21(1888)年に建築されたものです。昭和36年に、新たに「大湯」を新築するために解体されました。その解体部材を当時の山ノ内町長が買い取って復元を目指しましたが諸般の事情から断念し、復元することを条件に引き取り手を捜しました。その後、すき亭の社長が購入し、昭和48年に宮大工の手によって復元された建物です。

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唐破風のある格式の高い玄関を持つ

「大湯」というのは、地域によっては「総湯」あるいは「元湯」とも呼ばれますが、温泉地の中心にある共同浴場のことです。今でこそ温泉は、旅館の中にある内湯を使うのが一般的ですが、かつては「大湯」のような外湯に入るのが普通でした。旅館に泊まりながら湯煙の立ち上る外湯に浴衣姿で通う情景が、温泉地の本来の姿であったのです。大きな温泉地では外湯が複数あり、湯守の管理下で湯治をしていました。温泉に入るには「湯治心得」が定められ、温泉利用のマニュアルがありました。外湯は公共空間であるので守るべきルールがあるのです。また、いろいろな人々のコミュニケーションの場、文字通り裸の付き合いが出来る場でもあります。

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湯気抜きの空間があまり見えないのが残念

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軒を支える詰組み状の腕木

近代、それも多くは戦後から内湯が主流となり、高度成長期からバブル期に旅館が大型化してなされた温泉客の囲い込みが、現在直面している温泉まち全体の疲弊を招いていることはよく指摘されていることです。しかし、新たに各地で温泉地の再活性化が目論まれ始めています。すでに木造の共同浴場を復活したところもありますし、まちにそぞろ歩きが復活してきているところもあります。
加賀の山代温泉では、江戸時代以来方形の広場の中心に「総湯」があります。広場のまわりに18軒の旅館が取り巻く構成となっており、現在もこの構成は変わっていません。ただ、現在の総湯は昭和30年代に改築された鉄筋コンクリート造のもので、総湯利用者は温泉客よりも市民が多いのです。現在、明治時代の2階建て「総湯」を木造で内外とも正確に復元し、新たにつくる市民向けの湯とセットにしようという計画が進んでいます。また、総湯周辺に残る江戸末から昭和初期にかけての旅館建築群の保存・修景などを行なうことも視野に入れていこうとしています。
「大湯」や「総湯」の建築は、道後温泉本館のようにその時代時代の最先端のもので、地域の総力をあげた建築です。大空間を必要としますので、その構造的工夫もさることながら意匠的にも高いレベルが要求されるのです。このため、その多くに優秀な宮大工がかかわっています。この洗心亭となっている渋温泉の「大湯」も同様の高いレベルを持っています。

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寺院風、数奇屋風、町屋風が混在し一体となっている

入口は4箇所あり、それぞれに唐破風付きの玄関が配置され、大きい2箇所が一般男女、小さい2箇所がVIP用でした。渋温泉にあった当時の扁額は山岡鉄舟の筆によるものであったといわれています。内部は一つの大きな空間で、湯気抜きと明かり採りのため、大きな吹抜けを持っており、仕切りで湯船が仕切られていました。天井は化粧屋根裏で、吹抜けに向かって扇状の垂木が登っていく伸びやかな空間構成となっています。
この地に復元する時、当初は浴室として活用する予定でしたが、法的規制の課題がクリアできず、工事途中で変更し、茶室を内部に新築したそうです。建築の中に建築をつくるという奇想天外なアイデアで、茶会などに使われています。
ただ、茶室としての活用というアイデアもよいのですが、「大湯」の建築的価値は、外観の重厚な構成だけでなく、内部の大空間にあることを考えると、物足りないことは事実ですし、もともと癒しの場でコミュニケーションの場であったことを考えると、このような本来あった機能を担うような活用を期待したいと思います。

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