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甦る建築文 : 矢野 和之

甦る建築 24 京都芸術センター(京都市中京区)

旧運動場は現在地域に開放されている

甦る建築 24LIVE ENERGY vol.86掲載

京都芸術センター(京都市中京区)

株式会社 文化財保存計画協会 矢野和之

全国で旧い学校を保存・再生した例は結構見受けられます。なかでも鉄筋コンクリート造の学校は、日本にまだ少なからず残っており、現役で使われている例も少なくありません。私も小学生の時学んだのは、明治時代に開校し昭和初期に建て替えられた校舎でした。暗い室内、油拭きされた床板の匂い、スチールサッシュを開ける時の音など、その重厚な佇まいとともに今では懐かしく思い出されます。

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京都芸術センターのアプローチ

卒業生の思い出の一杯詰まった校舎は、単なる建物以上の意味を持っています。数年前、滋賀県豊郷町で起きた豊郷小学校の改築問題では、町長のリコール問題にまで発展したことでもそれが窺えます。
明治維新後、政府は教育に力を入れ、各地に小学校が開校していきました。この京都芸術センターの前身は、明治2年(1869)開校の明倫小学校(当時下京第三番組小学校)で、日本で一番古く開校した小学校の一つです。昭和6年(1931)に鉄筋コンクリート造の校舎に建て替えられました。延床面積5000m²を超える近代的な小学校は、当時東洋一の小学校という謳い文句がついていたそうです。特に関東大震災の後の昭和初期に建てられた鉄筋コンクリート造の建物は、耐震性能を上げるために強固な構造をとっています。

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図書室

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大広間は近代和風として評価できる

設計は、京都市の営繕部で行なっています。一見、武田吾一の設計と見まがうような意匠は、当時営繕部に彼の弟子たちが多く所属していたからでしょう。現在の役所の営繕部門とは異なり、当時は役所で自ら設計をこなしていました。官庁の技師として、建築家としての若いエネルギーを感じさせるものです。
この立派な小学校も学校の統廃合により平成7年(1995)に閉校しました。その後、住民の要望などもあり、保存活用されることになりました。
明倫小学校の建築としての価値を損なうことなく新しい機能に転化していくためには、どのような機能を選ぶかが重要でしょう。
京都という日本で一番蓄積された伝統文化を持つ地ゆえの活用が計画されました。それは、伝統文化を現代に活かしつつ、美術・音楽・ダンス・演劇など、さまざまな分野の芸術が出会い新たなものを生み出す場として、さらにその成果を生活や技術、産業へとつなぐことで一層豊かな都市を再生させる場として構想されたのです。

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当初のスチールサッシュがよく残されている

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古い教室の面影がよく残る制作室の一部

明倫小学校には教室や講堂の他、大広間や和室など質の高い近代和風空間があります。その部屋ごとの特徴を生かしつつ、ギャラリー、図書室、制作室、ワークショップルーム、フリースペース、講堂、大広間、和室、喫茶室などに活用されています。
延床面積5209m²、西に本館(地下1階、地上2階)、南校舎(3階、一部4階)と北校舎(3階)のコの字型の構成です。窓を埋めて構造補強をしたり、エレベーターや空調設備を追加して現代的機能を充足させています。改造は極力控えめにしてオリジナルの持ち味を失わないようにしています。
開館は平成12年で管理運営は(財)京都市芸術文化協会が担っています。センターの事業は「①ジャンルを問わない若い世代の芸術家の支援、②さまざまなメディアを用いた、芸術文化に関する情報の収集と発信、③アーティスト・イン・レジデンスとして国内外から京都を訪れる芸術家の受け入れや、芸術家同志また芸術家と市民の交流の場の提供」を活動の根幹としています。

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斜路部分の外観

制作室は、最大3ヶ月の利用が可能で、発表や公演予定が決まっている人が募集の対象になります。図書室には主に芸術・文化や京都に関する書籍・映像資料が集められています。講堂、フリースペース、大広間などは発表の場として音楽、演劇、ダンスなどの公演や展示会などに使われ、その使用率は90%を超えています。
この京都芸術センターでの新進・若手の芸術家の育成活動は、かつて子どもたちの学びの場、育成の場であった旧明倫小学校に相応しいもので、さらには当時の建築家の芸術的エネルギーを感じさせる場としてもうってつけであると言えます。

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