LIVE ENERGY

甦る建築文 : 矢野 和之

甦る建築 25 山居倉庫(山形県酒田市)

西日除けのケヤキは大木になり独特の景観をつくり出している

甦る建築 25LIVE ENERGY vol.87掲載

山居倉庫(山形県酒田市)

株式会社 文化財保存計画協会 矢野和之

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倉庫と倉庫の間のオープンカフェ

秀麗な鳥海山を北に、大きく広がる庄内平野。その庄内平野を潤す最上川が日本海に注ぐ河口近くに、酒田市山居町が位置しています。その山居町の新井田川畔には、ケヤキの大木を背に米貯蔵の大型倉庫12棟が並んでいます。米どころ庄内のシンボルとしてすっかり定着したかのようで、観光客でも賑わっていますが、この倉庫群は、庄内の歴史を深く物語るものでもあるのです。

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新井田川河畔に大型の米倉庫が並ぶ

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倉庫の大半は現役

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入口は大きく突き出した屋根が特徴

最上川は、山形県の大半を流域としています。山形県は最上川とともに生きてきたといえるでしょう。その豊かな水は田畑を潤し、日本有数の米どころが形成されています。その一方で、平安時代には『水駅』が設置され、早くから交通路として機能してきました。近世に至り、日本海ルート(北前船)の発展とともに最上川の舟運が飛躍的に伸びていきます。元禄期には酒田から米沢まで200キロメートルの舟道が成立しました。米の他に紅花や青苧が運ばれ、京・上方との交流によって独特の文化が育まれていきました。
その最上川の河口近くに酒田市があります。出羽国府とみられる城輪柵跡があり、古くからこの地方の中心でした。江戸時代には最上氏改易の後、酒井氏が鶴岡に十三万八千石で入封し、鶴岡は城下町として、酒田は最上川の舟運と北前船の廻航地の接点に位置する交易基地として栄えていきます。庄内といえば、時代小説作家・藤沢周平の出身地です。架空の海坂藩を舞台とした「蝉しぐれ」や「たそがれ清兵衛」、「義民が駆ける」などは庄内藩がモデルでした。庄内藩は藩主、家臣、領民の結束が固いといわれています。大地主である本間家が、藩の財政再建に力を発揮しました。
江戸時代の庄内藩の年貢米は、藩内各地にありましたが、その最大の倉庫が酒田の新井田倉でした。明治維新後に酒田民政局に受け継がれ、その後、酒田の廻船問屋が共同で倉庫業を開始したが失敗し、転々と会社が変わりましたが、本間家が倉庫業を開始しました。明治維新以来庄内米の品質が悪化するとともに市場での評価も低くなり、等級の低い米の入庫を拒否するなど改善を図っていきます。一方、水稲技術の改良と米の品種改良が進められました。乾田馬耕技術の導入と、今は幻の酒米として知られる「亀の尾」に代表されるように民間育種家の活躍が、高品質の米生産を支えていきます。地主層、特に本間家の力がここでも大きく寄与しています。

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庄内米歴史資料館内部

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酒田夢の倶楽(ミュージアム華の館)

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同(幸の館)の物産品売り場

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同(幸の館)のレストラン

本間家は旧藩主酒井家と相談し、「株式会社酒田米商会所」を設立しましたが、振るいませんでした。しかし、明治政府による「取引所法」の公布を機会に「株式会社酒田米穀取引所」と改称し、それまでの江戸時代の米蔵ではなく、新たに山居町に倉庫を明治26年(1893)に7棟建設しました。これが山居倉庫の始まりです。山居町は最上川と新井田川に挟まれ、舟からの荷の積み下ろしに便利な場所です。この後、米穀市場の拡大により大きく発展し、昭和11年(1936)には75棟・約1万坪に達しています。
この倉庫は、小屋構造にトラスを用いる西洋技術と、それまでの伝統的な湿度・温度調整機能や防火機能をもつ土壁構造と置屋根構造をうまく組み合わせたものです。また、倉庫群の西側に植えられたケヤキは、暑い西日から守るように配慮されたもので、低温を保つ自然の力を利用する先人の知恵でもあったのでしょう。それは、この倉庫が築後100年以上経った現在でも現役であることから証明されるでしょう。
12棟の内10棟がJA全農山形の所有となっており、9棟は米倉庫として現役で使われ、1棟は庄内米歴史資料館として庄内米の歴史と米について展示しています。2棟は酒田市の所有となり、酒田観光物産協会が『酒田夢の倶楽』として活用しています。1棟は物産品コーナーとレストラン、もう1棟は酒田の歴史と文化を紹介するミュージアム「華の館」としています。これらは、大空間を上手く活かしたものとなっていますが、ケヤキの新緑の光に包まれ、爽やかな風が吹き抜けていく倉庫と倉庫との間のオープンカフェは大好評です。歴史を学び、文化遺産を楽しむ。そんな活用がここにはあります。

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