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甦る建築文 : 矢野 和之

甦る建築 29 名古屋大学豊田講堂(名古屋市)

講堂とシンポジオンをつなぐアトリウム

甦る建築 29LIVE ENERGY vol.91掲載

名古屋大学豊田講堂(名古屋市)

株式会社 文化財保存計画協会 矢野和之

名古屋大学東山キャンパスの門を入ると、緩やかな斜面の先の広場に豊田講堂があります。この豊田講堂は、1960年に竣工し、トヨタ自動車から寄贈されました。槇文彦氏の日本における最初の設計で、1963年日本建築学会作品賞を受賞したものです。基本的機能としては集会施設なのですが、小高い丘を背景に一種のゲートとしてイメージされて設計されています。槇氏の作品の内でもモニュメント性の高い建築と言えますが、その後このようなスケール感から離れていったと自身が語っています。コンクリートの打ち放しでピロティを構成する軽快な構成をもつ、戦後のモダニズム建築の傑作の一つと評価されているもので、DOCOMOMO・JAPANによる日本の近代建築100選に選ばれています。インドのシャンディガールでル・コルビュジエに会った時に、設計図面を見てもらい、アドバイスを得たことが逸話として残っています。

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当初のイメージそのままの豊田講堂正面

名大の学生や教職員に親しまれたこの建築も50年近くが経ち、改築されることになりました。解体して新築することを求める声も学内に多くあったようですが、この建物を高く評価する人たちの活動によって、その価値が広く理解された結果でしょう。近代建築、それもモダニズム建築の価値は専門家には評価されても、なかなか一般の人には価値が理解されないことが多いと言えます。煉瓦の東京駅を残すことには賛成でも、タイル張りのオフィスビルである東京中央郵便局(設計:吉田鉄郎)の保存問題に対してそれほど理解が広まらなかったことも、それを示していると言えます。また、戦後に流行ったコンクリート打ち放しの建築は、経年とともに黒ずんで汚く見えることも、イメージを悪くしているのかも知れません。

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講堂の柱と後設アトリウムの屋根の納まり

講堂の周辺の状況は創建当時と大きな変わりはなく、前面にゆったりとしたオープンスペースがあり、東側に少し離れてシンポジオンと呼ばれる会議場(設計:竹中工務店)が建てられた程度でしょう。
豊田講堂は、槇氏の若い頃の作品を自らがリノベーションの設計をするというあまり例のないケースとなりました。リノベーションの設計はもちろん槇氏以外に考えられないのですが、公共工事の発注ということになると、昨今の状況から難しい面もあるのでしょう。大学でなくトヨタ自動車が、リノベーションの設計と工事を発注し、工事完成後改築部分を寄贈するという方法を採ったということです。
リノベーションの中身は、設備システムの強化改修、オーディトリュームの性能向上、講堂の後に建築された隣接する集会施設「シンポジオン」との一体化でした。

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復元された杉板本実型枠によるコンクリート打ち放し

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講堂内部は機能の向上が図られた

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講堂ロビー

特筆すべきは、外装のコンクリート打ち放し部分の打ち直しを行なったことでしょう。この目的は、コンクリートの強化とともに杉板本実型枠の表面の表情を取り戻すことにありました。外部のコンクリート表面は、風化・劣化が進行し、型枠模様が消え、砂が浮き上がっていましたので、創建時のイメージを取り戻すために打ち増しの時に、杉板本実型枠を復元して使用したものです。同時にフッ素系表面被覆工法や光触媒による汚れ防止工法をとって、この新鮮な状態を保ち続ける新たな工法を用いています。この際の打ち増し幅は最小限に留めており、打ち増したことがほとんど判らないので、軽快さはまったく失われていません。
シンポジオンとの間には、中庭がありましたが、アトリウムを増設して一体化することにより、講堂とシンポジオンがさらに多様な機能をもつようになりました。このアトリウムに立つと、そこが中庭であったことは全く分からないほど一体化していることは、当初の設計者とリノベーションの設計者が同じでなければできなかったことでしょう。
このような近代建築、それも鉄筋コンクリート造の保存と再生の試みは、今後徐々に増えていくことと思いますが、厄介ものとして建て替えの圧力も強く、ここ数年が正念場かも知れません。その中で、この豊田講堂の事例は、一石を投じることでしょう。

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