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空間談義

空間談義 45 写真と建築を結ぶ「線」

「今日の作家XI」畠山直哉氏出展作品 《タイトルなし/モントリオール》2005年 ラムダプリント)

空間談義 45LIVE ENERGY vol.83掲載

写真と建築を結ぶ「線」

写真家 畠山直哉 vs 建築家 ヨコミゾマコト

都市を撮る

ヨコミゾ畠山さんは、日本の写真界で最も権威がある木村伊兵衛賞を受賞された方で、現代の日本を代表する写真家の一人です。僕が大学生の頃に、畠山さんと同じ江戸川アパートに住んでいたこともあって、それからずっと親しくさせてもらっています。僕が独立する前にいた伊東豊雄事務所の時には、担当していた「せんだいメディアテーク」をはじめ、何度か撮影をお願いしました。その畠山さんが、神奈川県立近代美術館で、1月6日から展示会をやられるということで、大変楽しみにしているところです。

畠山今まで発表してきた「光のマケット」や、70点組の都市の肌理だけを撮った写真などのほか、中国にあるニューヨークの模型や、日本にあるニューヨークの模型を撮った新しい作品もあります。ポスターに使ったのも、森ビルがつくった東京の大模型の写真で、今回は建造物ばかりを展示します。

ヨコミゾポスターは先ほど見せてもらいましたが、都市の空撮だと思いましたよ。

畠山僕もそう見えるだろうと思って撮ったんですけど、この展示会では、写真になった模型の見えと写真になった現実の都市の見えが、果たしてどの程度の差があるものか見てみたいと考えて、模型の写真と実在の建築の写真とを、あまり区別しないで並べてみることにしました。 それらが隣合う位置に展示されていたりするわけですよ。それを見て、人はどう感じるかということをちょっとやってみたいんですね。

ヨコミゾそれは問題提起だったり、考えるきっかけを与えるっていうことですか。

畠山「改めて考える」というくらいの意味で取ってもらえれば、別に「批評」と呼ばれても構わないとは思っています。

ヨコミゾでは、畠山さんはなぜ都市を撮るんですかね。都市というのは、畠山さんがずっと追い掛けている大きなテーマだと思うのですが。

畠山写真を撮っていると、「一体僕はどこにいるんだろう」という感覚をよく感じるんです。例えば、僕は今日の午前中、別の雑誌の取材を受けていたんですけど、その時に僕を写真に撮っている女性がいた。その人を見ていても同じようなことを感じました。カメラマンの彼女だけ、まるでそこにいないみたい。場に参加していない。「不参加」なんですよ。
僕自身にも撮影中にそんなことがあるし、それは、写真家の宿命みたいなものかもしれないと思っているんですが、多分そこには「距離」の問題があるんですね。心理的な「距離」です。この心理的な距離というのは、物理的な距離と関係があるのではないか。そんなところに僕の関心があるんです。
高い所に上りたいという気持ちは、そういう「不参加」とか「距離」とかいうことと関係があると思うんです。僕が最初に都市を撮ると言って始めたことは、やっぱり高い所に上って、下界をながめて、ビルの肌理だけを撮ることでした。それは1988年からずっとやっています。
どうしてこんなことをするんだろうって、ずっと自問しているんです。もちろん物理的に距離をとることで、見えてくるものというのはあります。それとは別に、普段自分が暮らしている日常から距離を置いて見ている自分というもの、自分自身のいろんな感情とか情動というものがたくさんあるんです。
写真を撮るということは、これは全ての写真家に当てはまることではないかもしれないけど、僕にとっては、場から離れることなんですね。何かの「外に出る」、つまり「アウト」なんです。

ヨコミゾ確かに畠山さんの作品は、一度外に出て、それから改めて出る前にいた所を確かめるような、不思議な距離感を伴う写真になっていると思うんですが。

畠山近代以降、特に20世紀の芸術がどうしてこう非人間的なものかということは、今後よくよく考えてみなくちゃいけないことですが、この非人間的な感覚、それは冷たさと言ってもいいですね、それと写真が持つ「不参加」、「距離」、それから「外に出る」というニュアンス。こういったものは絶対に関係があると、僕は信じています。
それでも僕は、常に自分がどうやって外界と接触を図っているのか、どうやれば関係をつくれるのかというふうに、日々考えながら過ごしているわけなんです。そのあたりの問題意識は多分建築家とも共有できるものだと思います。

自然の隠喩に匹敵する何かを

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「今日の作家XI」畠山直哉氏出展作品
《ニューヨーク/世界の窓》より
2006年 Cプリント

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「今日の作家XI」畠山直哉氏出展作品
《プレハブ住宅/アルバカーキ》より
2005年 Cプリント

畠山都市を撮るということは、僕がなぜこんな所で生きているのかということを自問しているようなものだと思うんですよ。今回の展示会のカタログに「線をなぞる」というタイトルで詳しく書きましたが、「都市を撮る」ということは、都市の中の事物が、自然に生まれたものではなくて、ほとんど人間によってつくられているというところにポイントがあります。
建物などに現れている線、例えば壁面のエッジのラインは、誰かが設計図として引いた線ですよね。そういう線は何から何まで人間の意志で決定されているものでしょ。

ヨコミゾそうですね。誰かの意志ですね。

畠山僕は今回、そうやって人間の手によって引かれた線のみを集めてみたわけです。それが実際の建築だろうが模型だろうが構わないという考え方ですね。
ヨコミゾさんみたいな設計者の人たちが引いている線と、写真家として僕が関わる、つまり、僕が引く線。撮影という行為を通して、それらの線が重なった時に何が起こるか。僕が写真を撮る場合には、その現実に加えて、別の何かを生まれさせていたいわけです。

ヨコミゾせんだいメディアテークを撮った「アンダーコンストラクション」の時は、伊東さんが描いた線を、畠山さんがもう一回なぞったというわけですね。

畠山僕が撮った伊東豊雄さんのせんだいメディアテークが、どこか現実とは違った面白さを持っているとしたら、やはり写真でなぞったことで、何かが新しく生まれたと解釈せざるをえないですよね。

ヨコミゾつまり、そのなぞり方が他の人と畠山さんとは、決定的に違うということですね。

畠山なぜただ線をなぞるだけで表現と呼ばれるのか。
僕には僕のなぞり方が本当にあるのか。そんな疑問を、僕は写真のどこかにメッセージとして入れておきたいんです。
では、どうして僕が、死ぬ間際の高木仁三郎さんが「もう嫌だ」と言ったような人工物に徹底的に囲まれた所、都市に住んでいるのか。しかも普段は、都市の根本的な問題を見ないようにして、他のことで気を紛らせて生きているわけです。こういう状況をどうしたらいいんだろう。ヨコミゾさんなんかは、そういう状況を乗り越えるべく、いろんな新しいものをデザインしたりしている。僕は、そういう議論の中に写真という道具を使って参入していくことが出来ないのだろうか、と思っていて、それを今回の展示会のテーマにしたんです。

ヨコミゾここまで伺って、模型と現実の都市の写真を両方並べる意味がわかりました。

畠山「線をなぞる」にはこんなことを書きました。「現れたものを元に議論を続ければ、やがて今の都市の線を乗り越えるような新しい線が、自然界の事物に負けないくらい豊かな隠喩となる線が、心ある人間たちの手によって、いつか都市に実際に引かれ始めるようになるだろう」。この「心ある人間たち」の数を、僕らの世代でどのくらい増やせるかが、これからの本当に大切な課題なんだと思います。
都市の中に自然を入れるとか、庭をつくるとか、そういう発想ではなくて、何かもっと、自然に負けないようなもの。そういったものがデザインされないかなと思っている。
僕はそれを、伊東豊雄さんのせんだいメディアテークの時に、一瞬感じたんですよ。これは自然を引用したものではない。自然に匹敵する何かだと。それで写真集に「そして船は行く」というエッセイを書いたんです。

ヨコミゾ「自然に匹敵するもの」ですか。それは狙ってつくれるものではない気がしますね。

畠山実は、僕が今言った話は、トニー・クラッグというイギリスの彫刻家の台詞の受け売りなんですけど。彼の個展のカタログに「将来、大空を飛ぶ鳥が全ていなくなるというような想像をすることは、とても悲しいことだ。自分は出来れば、そうなってほしくはないけれども、もしそうなったら、鳥の替わりに、鳥に負けないくらい美しいものが大空に飛んでいてほしい」と書いてあった。人間がつくったものでもいいから、飛ぶ鳥と同じくらい豊かな隠喩を持った何かに飛んでいてほしい、って言うわけですよ。

ヨコミゾ人間がつくったものでもいいなんて、ポジティブですね。

畠山それはでも、本当に真剣なデザイナーや芸術家たちが、今考えていることだと思うんですよ。自然を守りたいという気持ちはある。だけど守れないかもしれない。だったら、そうはなってほしくはないけれども、もしそうなったら、替わりのもの、匹敵するぐらいのものをつくり出したいって。

ヨコミゾそこで、自然を取り戻せみたいな運動をするわけではないんですよね。そのところが、ちょっと悲しいくらいに前向きでポジティブですよね。

畠山うん。だって、一介の彫刻家に、核戦争を止められるかというと、それは難しいと思うんですよね。

ヨコミゾ それでも、作品をつくろう!ということですよね。

畠山そう。建築家は建てたいし、彫刻家はつくりたい。写真家も写真を撮りたい。だったら自然に負けないようなものをつくろうということ。自然に匹敵するような、自然の美しさを乗り越えるようなものを。そういう言葉があって、僕は本当に感動しました。
だから僕らの世代からは、ぜひそういう考え方でもって、モノをつくってもらいたいなと思うんです。

ヨコミゾ一人でも二人でも、そういう作家が増えて欲しい。

建築家の線と表現

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富弘美術館俯瞰。円の集積というプランが屋上にも現れている(撮影:大野繁)

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富弘美術館展示室。曲面の壁面に展示が行なわれている(撮影:大野繁)

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富弘美術館「空のへや」(撮影:大野繁)

畠山建築家は実用的であることを求めるだけでなく、設計という行為の中で、その建築に集う人たちや暮らす人たちに対して、精神的な部分で何かを働きかけていますよね。屋根があって壁があって、暖かいだけじゃなくて、何か感じたり考えたりするための工夫や仕組みといったものを建築にこめるでしょ。建築の評価は、その辺のことが随分大きいですよね。

ヨコミゾ単純に、実用的というだけでは評価されないでしょうね。

畠山例えばヨコミゾさんの富弘美術館は、建築学会賞を受賞されたけど、そういう賞をもらうような作品には、建築家の考え方とか意志、ガッツ、未来に向けての可能性といったいろんなメッセージが含まれていると僕は思うんですよね。その部分というのは、なかなかセオリーにも出来ないし、摩訶不思議な部分なんだけど。

ヨコミゾ面白いのは、建築は、自分一人でつくっていけるものではないということですね。自分というものが絶対なければ出来ないんだけれど、でも自分一人じゃ出来ない。関係する様々な人たちの協力があって初めて世に現れる。それがまた、時にいらつき、じれったく感じる。でも逆に教わることもあったりする。そういった意味では、とんでもない共同作業なんです。

畠山建築家は、あるイデー、あるいは観念でもいいけれど、そういったものを何とか外在化したい、具現化したいと考えるけど、それに対してなんだかんだ周りが言ってくる。これは出来ない、出来ても制限があるとか言われる中で、それでも自分の表現のために、解決方法を模索していくわけじゃないですか。その途中で様々な人の意見を浴びるように聞いて、いろいろと打ちのめされながらも何か開かれていくという感覚も味わうわけでしょ。

ヨコミゾそういう時はうまくいくことが多いですね。富広美術館の時も、自分の表現と、人の意見を取り込むことの両立を、ずっと考えていました。富弘美術館は群馬県の旧東村に建設された美術館で、コンペで設計者に選ばれたんですが、僕はシャボン玉のように、いろいろな大きさの円形の小部屋を集積させることで、多様な空間が同時に存在しているようなことを可能にするプランを提案したんです。円の集積というプランは、全体から誘導されを取り込みやすい仕組みでもあったんです。プランは完成まで何度もディスカッションを繰り返し、修正を重ねましたが、見た時の印象としては最後まで変わっていないように感じられます。そここそが、僕が狙った自己と他者とが同時に存在できる仕組みなんです。

畠山でも完成までの過程で、ディスカッションを重ねていった末に現れる一本の線というのもあるでしょ。そういう線はきっと「これだっ!」っていうものなんだろうね。当初描いていた線とは違うけど、そこには大切な意味が籠もったのだというような、何かそれなりに納得のいく線というのが、立ち現れてくるわけでしょ。そういうものが、多分、自然の隠喩に匹敵するものを生み出すためのステップなんだと思いますね。

ヨコミゾそういう作品に一歩でも近づきたいですね。神奈川県立近代美術館での展示、とても楽しみにしています。
今日はありがとうございました。

ヨコミゾマコトYokomizo Makoto

ヨコミゾマコト

1962年神奈川県秦野市生まれ。
1986年東京芸術大学美術学部建築科大学院修了後、1988年伊東豊雄建築設計事務所入所。
2001年aat+ヨコミゾマコト建築設計事務所開設。現在同代表取締役。
また、東京芸術大学、東京大学、東海大学、法政大学、東京理科大学にて、非常勤講師も務める。

主な作品と受賞に、「FUN」(2002年/日本デザイン振興会グッドデザイン賞、カナダ林産業審議会カナダグリーンデザイン賞、東京建築士会住宅建築賞奨励賞)、「TEM」(2004年/東京建築士会住宅建築賞金賞)、「富弘美術館」(2005年/日本建築学会賞作品賞、International Architecture Award)、「NYH」、「GSH」(共に2006年/日本デザイン振興会グッドデザイン賞)などがある。

畠山直哉Hatakeyama Naoya

畠山直哉

1958年岩手県陸前高田市生まれ。
筑波大学で大辻清司氏に写真を学んだ後、80年代後半から開始した石灰石鉱山のシリーズと、都市を被写体に無人の光景をとらえた作品群で注目を集める。
第22回木村伊兵衛賞受賞(1997年)、ヴェネツィア・ビエンナーレへの参加(2001年)、国内外での回顧展(共に 2002年)など、90年代以降の日本を代表する写真家の一人として国際的に活躍。
国内外での個展、グループ展多数。

主な写真集に、「Lime Works」(シナジー幾何学、1996年/新版:アムズ・アーツ・プレス、2002年)、「Underground」(メディアファクトリー、2000 年)、「Under Construction」(建築資料研究社、2001年)、「Naoya Hatakeyama」(Hatje Cantz、2002年)などがある。

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