LIVE ENERGY

空間談義

空間談義 49 敷地を生み出す

鎌倉市七里ガ浜の海に面して立つWEEKEND HOUSE ALLEY。
店舗と住宅の複合施設(撮影:西川公朗(以降全て))

空間談義 49LIVE ENERGY vol.87掲載

敷地を生み出す

東京大学大学院准教授 千葉学 vs 千葉大学大学院准教授 三谷徹

三谷千葉さんは「そこにしかない形式」という言葉を使っていますね。これが70年代のコンテクスチュアリズム(文脈主義)などとどう違うのかあたりから話が始められればと思っています。

千葉「そこにしかない」とは、サイト・スペシフィック、つまり特定されたその場所だけにしか存在できない建築という意味です。毎回違う場所、違うクライアント、違うプログラムで建築をつくっているので、何かそこでしかできないことをやりたいという想いがあります。その反面、結果としてできたものには、何らかの普遍性を持っていてほしいという気持ちもあるので、それを「形式」という言葉に込めています。

三谷千葉さんの建築は、一回箱として閉じられているような作品が多いんですね。今日見せてもらった「ウィークエンド ハウス アレイ(WEEKEND HOUSE ALLEY)」も、一回箱で閉じられていて、それからそこにしかないものを見つけ出そうとしているように感じました。

千葉でも、閉じようとはあまり思っていないんです。むしろ「閉じる」「開く」というように、二項対立的に捉えられないような空間をつくりたいという気持ちが強いです。

三谷「ウィークエンド ハウス アレイ」は、湘南の青い海を目の前にした敷地の中に、白い建物がいくつか建てられているという作品ですが、これは集合体ではなくて、一つの箱が切られた形かなと思ったのですが。

千葉手法としては、最初に大きな箱というかマスがあって、そこから切通しのような小道(ALLEY)を何本か切り取りました。その残余を建物にしたのです。でも、出来上がった空間は、場所同士の関係で、いろいろな空間の質が出来上がっているので、集合体として見てもらってもいいかなと思っています。

三谷なるほど。確かに、その両義性が出ている面白さはありますね。

敷地の文脈と建築設計

三谷ここは、開口にもすごく特徴がありますね。都市の建築においては、開口はすごく大事な要素であると、僕たちの大学時代の指導教授だった香山壽夫先生もずっと言っていました。だいぶ意識していますか。

千葉開口を意識し始めたのは、独立して最初にやった「黒の家」の時ですね。

三谷都市部では、隣の家が非常に近い位置にあります。そういう時の住宅設計では、窓同士が見合わないようにとか考えますよね。それも「そこにしかない」問題ではありますが、「黒の家」の開口は、どういうことがテーマになったのですか。

千葉開口部のあり方が、その街らしい風景と切っても切れないような緊密な関係を築きながら、住宅というプライベートな空間が、街となめらかにつながるためにはどうすればいいのかということを、すごく考えました。

三谷千葉さんの作品集「そこにしかない形式」の「黒の家」のページには、敷地のまわりをかなり広範囲に入れた配置図が掲載されています。このような小さな住宅のために、これだけの範囲を描くというのは、敷地の文脈を大事にしようという意図があるのだなと感じました。

千葉そういう配置図を描いたのは、「黒の家」の時が初めてなんですよ。配置図というのは、建物と街の関係を表すための図面だと教わってきて、普通は俯瞰図を描くわけです。しかし敷地に行ってみたら、周りの建物は2階建や3階建があって、庭もベランダもある。さらに1階と2階の大きさが違うという建物もあるのに、そういうことが、俯瞰図だけでは、表現しきれないと思ったんです。

三谷一般的な配置図は、立体的な都市の絵にはなってないですからね。

千葉それで各階ごとに配置図をつくったほうがいいのではないかと考えました。1階の配置図には、地表面での街の様々な風景の要素が入ってくるし、3階の配置図では、3階建の家がどのくらいの分布で配置しているかということが拾い上げられる。そこから町の密度を把握して、各階のボリュームや窓のつくり方などを考えていきました。

三谷そこからこの「ウィークエンド ハウス アレイ」へは、自分の中で何か発展、飛躍があったんですか。

千葉「黒の家」は、窓の開き方一個一個に意味があったんですよ。でも「ウィークエンドハウスアレイ」でつくった小道には、そこまで厳格な意味はなくて、もう少し無根拠にやっている感じがあります。例えば、この小道は軸線上に大島があるというふうに、恣意的に位置を決めるようなことはしていません。恣意性が入れば入るほど、敷地全体が環境として閉じていくと考えました。

三谷縛られてしまうということですね。

千葉どこかのランドマークを見せることに特化した小道にすると、建築家の独りよがりな演出になってしまう。それでここの小道は、大雑把に海のほう、山のほう、住宅街のほうに開かれていればいいのではないか、という感じでつくりました。

サイト・ディターミンド

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大きなマスから切通しのような小道(ALLEY)を切り取り、その残ったボリュームを建物にするという手法で設計された

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小道の先に、特別なランドマークはない。どの方向を見ても、鎌倉らしい景色が望める

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小道から海を見通す。青い海に白い壁が映える

三谷最初に出たサイト・スペシフィックの話に戻りたいのですが、たぶん最初にこの言葉を概念化したのはロバート・アーウィンだと思います。彼の「存在と状況」というエッセイはご存知ですか。彫刻と敷地の関係を段階的に表現しているものなのですが。

千葉どういうものですか。

三谷彼は、一番古典的な彫刻を「サイト・ドミナント」と呼んでいます。要するに、彫刻家が敷地のことを全く考えないで、自分勝手な形をつくり、それをボンと敷地に置くという占領型の手法です。その次は近代の彫刻の手法で、「サイト・アジャスティド」というもの。一応彫刻家も、自分の彫刻が駅前に置かれるのか、彫刻庭園に置かれるのかといったことを考慮した上で、サイズや色も決める。スタイルは維持しながらも置かれる場所のことを考慮してつくる手法です。その次の段階が「サイト・スペシフィック」。彫刻家が、敷地の特性を読み込んでから彫刻を発想しようという敷地特性型の手法になります。そこまでは僕も理解できたのですが、さらにその先には、サイト・スペシフィックを突き詰めていくと「サイト・ディターミンド」になるという考察があって、僕はよくわからないながらも、そこに行き着きたいと考えています。

千葉サイト・ディターミンドですか。ディターミンというのは「定義する」「方向づける」といった意味ですけど、その敷地自体の環境をつくり出していく彫刻の手法ということでしょうか。

三谷少しずつ見えてきている気はしているのですが、僕も手探りの状態です。ただ、今の話から考えると、普通の家は、近隣の住宅の窓の位置を考えて窓を開けるということで、サイト・アジャスティドだと思います。「黒の家」はサイト・スペシフィック。そしてこの「ウィークエンド ハウス アレイ」になると、サイト・ディターミンドに近いのかなと思いました。

千葉確かにこの計画で何をやったのかと考えてみると、敷地をつくっていたような感覚に近い。建築としては、水回り以外に何もないようながらんとした部屋をつくっているに過ぎないですから。

三谷なるほど。

千葉僕はサイト・ディターミンドという言葉は知らなかったのですが、小道をこういうふうに通してみる、そうしたら、この敷地がどんな場所であるという説明になっているのか、いろいろな観点から検証してきたというのが、ここの設計プロセスの説明に一番近い感じがします。

三谷「黒の家」の時から、そういう違いが出てきているわけですね。2006年に竣工した「日本盲導犬総合センター」はどうですか。

千葉あれは分棟形式の建物を外廊下でつないで、その挟まれたり囲まれたりした空間を、犬のフリーランのスペースにした計画です。分棟というイメージは、当初からありました。巨大なパッケージ化された建物が、あの場所やプログラムにとっても相応しくないということがありましたが、その分棟があの場所に着地するためには、何か緩やかな秩序が必要ではないかとずっと考えていました。最終的に蛇行する回廊が出てきたことで、案は収束したわけですが、あの蛇行する回廊は、富士山の裾野という巨大な傾いた地面という側面を炙りだす形式だったのだと、今は思っています。ちょうど綴ら折れの道路みたいに。あとは、一つ一つの棟がどのような距離関係にあるのがいいのかを延々とスタディしていた感じです。し敷地に行ってみたら、周りの建物は2階建や3階建があって、庭もベランダもある。さらに1階と2階の大きさが違うという建物もあるのに、そういうことが、俯瞰図だけでは、表現しきれないと思ったんです。

三谷一般的な配置図は、立体的な都市の絵にはなってないですからね。

千葉それで各階ごとに配置図をつくったほうがいいのではないかと考えました。1階の配置図には、地表面での街の様々な風景の要素が入ってくるし、3階の配置図では、3階建の家がどのくらいの分布で配置しているかということが拾い上げられる。そこから街の密度を把握して、各階のボリュームや窓のつくり方などを考えていきました。

三谷そこからこの「ウィークエンド ハウス アレイ」へは、自分の中で何か発展、飛躍があったんですか。

千葉「黒の家」は、窓の開き方一個一個に意味があったんですよ。でも「ウィークエンドハウスアレイ」でつくった小道には、そこまで厳格な意味はなくて、もう少し無根拠にやっている感じがあります。例えば、この小道は軸線上に大島があるというふうに、恣意的に位置を決めるようなことはしていません。恣意性が入れば入るほど、敷地全体が環境として閉じていくと考えました。

三谷縛られてしまうということですね。

千葉どこかのランドマークを見せることに特化した小道にすると、建築家の独りよがりな演出になってしまう。それでここの小道は、大雑把に海のほう、山のほう、住宅街のほうに開かれていればいいのではないか、という感じでつくりました。 完成したら、何人かの建築家の方に、これは幼稚園でも美術館でもいいかもしれないと言われたんですよ。それはプログラムを超えていると思いました。盲導犬センターという特殊なプログラムとは無関係なものでも成り立つというのはどういうことかと、それは建築を考えていく上でかなり重要なことではないかと思っています。

三谷プログラムを超えている建物ですか。

千葉つまりプログラム・スペシフィックにやっていたつもりが、結局何か普遍性を持ったものになってしまったということです。

三谷ファンクショナリズム(機能主義)を追求したら、機能を特定しないユニバーサルスペースが出来てしまったという近代建築のあの流れと、どう違うのでしょう。

千葉そこが興味深いところで、近代建築を越える新しい視点になるのではないかと感じています。

三谷今、サイト・スペシフィックからプログラム・スペシフィックという話に展開しましたが、サイト・スペシフィックには2側面あると言われています。フィジカルな、要するに自然環境のような物理的な特性と、カルチュラルな、人に関する歴史とかそういう文化的な特性です。  これはジョージ・ハーグレイブスの言葉ですけれど、本当にランドスケープアーキテクトがやらなければいけないことは、文化的な敷地特性を物理的に解いてみせること。また、物理的な敷地特性を文化的なものに昇華させることだと。僕は、それがどういうことかと、ここ10年、ずっと考えてきたのですが。

千葉答えは出たのですか。

三谷この前、島根県の古代出雲歴史博物館に関わって、「出雲風土記」をテーマにした庭園をつくってくださいと言われました。出雲風土記には、神さまが綱で島を引っ張ってきて、出雲の国をつくったというストーリーがあります。現地で実際の風景を見たら、そのストーリーには、まさにその土地の物理的な特性が全部表現されていると思えたんですよ。そこで風土記の「国引き」という文化的ストーリーを、敷地の入口から山に向かって直線的に抜ける1本の道にして、逆に物理的に表現してみました。つまり歴史的な文化を、空間として昇華できた。その時に僕が10年考えてきたことの答えは、こういうことかなと少し思い至った感じです。
これはランドスケープの話ですが、建築でも、プログラムと敷地の特性がクロスオーバーするところをうまく引き出すことができれば、一つの答えになるのではないですか。

千葉そうですね。でも建築で、そういうことを明確に意識している人は、まだ少ないと思います。

庭と鎌倉らしさ

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敷地の中央付近で小道が交差する。写真中央と右の小道の先には階段があり、海側の道路に降りられる

千葉「ウィークエンド ハウスアレイ」の用途は、半分が賃貸住宅ですが、もう半分が商業施設ですから、今後テナントが入れ替わっていくこともあり得る。どんどんつくり替えられていく。でもそうなっても、この場所の魅力がずっと持ち続けられているといいと考えているのですが、そのために何をどこまでデザインすればいいのかということが大きなテーマでもありました。先ほど敷地をデザインしたというお話をしましたが、それも同じことです。細かなところでは、外壁のコンクリートの型枠の割り付けも、職人さんたちにある程度自由にやってもらったりしています。

三谷本当だ。気付きませんでした。

千葉ランドスケープについては、鎌倉らしい植生を生かしたものをやらないと駄目だと思っていたのですが、ランドスケープをお願いした人の提案はもっと庭のつくり方に近いもので、最終的には、その折衷案みたいなものになりました。出来上がってみると、庭みたいな雰囲気が逆によかったと思っています。

三谷それがいいわけですよ。

千葉植栽のエリアは、僕たちが建築を決めてしまったあとの余りのようなスペースで、そこを庭として扱うのは、この辺の人たちが、自分たちの家の庭にヤシの木を植えましたということと近いのかなと思いました。そういうものがずっと根付いていって、鎌倉らしさをつくっているとすると、鎌倉にとってのバナキュラー(風土性)とは何か、よくわからない。

三谷育っているのだから、ちゃんと根付いてはいるんですよ。
 僕は今、千葉大学で日本庭園を研究する機会があるのですが、庭の分野の人たちと交流するようになって、庭の剪定法が地域ごとに違うということを知りました。剪定法が違うと、同じ木でもその形や空間性が全く違う木のようになります。剪定法の違いには、木が折れてしまうような季節風が吹くかどうかということもあります。例えば庭のマツの仕立て方とか、そういうことにそこの気候風土、先ほど言った物理的スペシフィックの部分が盛り込まれていて、文化になっている。庭というのは、すごいなと改めて思いました。

千葉庭の管理の仕方の違いに、そのような背景があるんですね。

三谷僕ら、ランドスケープアーキテクトにとって、自然生態系の復活とか、原植生の復活とか、確かにそれも大事なのですが、気軽に庭をつくろうということも大事なんだと思います。近代ランドスケープが、庭を本流から外してしまって、庭師さんの技術が持つ風土性みたいなものを誰も評価していないのは、大きな死角だと思います。

千葉原植生を踏襲しようというのは、古い意味でのコンテクスチュアリズムに近く、むしろ、かなり人工的だけれども、住民や設計者などがここにあるといいと思った木が集積してできた庭のほうが、よりサイト・ディターミンドなのかもしれませんね。

三谷そうかもしれませんね。

千葉しかし、サイト・ディターミンドという言葉は面白いですね。僕の設計も、サイト・スペシフィックより、もう少しディターミンする側に回りたいと思っていたので、とても興味深い概念です。

三谷サイト・ディターミンドは、概念というより、問題提起なんですけれど、それだけに考えさせられるところがあります。いろいろと考えるきっかけにしてもらいながら、今後、建築と庭の形式にも興味を持ってくれたら、ありがたいと思います。

千葉学Chiba Manabu

千葉学

1960年東京都生まれ。
1985年東京大学工学部建築学科卒業。
1987年同大学大学院修士課程修了。
1987年主な作品に、和洋女子大学佐倉セミナーハウス、黒の家、勝浦の別荘、MESH、platform、日本盲導犬総合センター、Studio御殿山、WEEKEND HOUSE ALLEYなどがある。

主な著書に、「くうねるところにすむところ 窓のある家」(インデックスコミュニケーションズ)、「rule of the site そこにしかない形式」(TOTO出版)など。

三谷徹Mitani Toru

三谷徹

1960年生まれ。
静岡県沼津市出身。
1985年東京大学大学院建築学専攻修士修了。
1987年ハーバード大学大学院ランドスケープアーキテクチュア修士修了。
1992年博士(工学)取得。
ピーター・ウォーカー&マーサ・シュワルツ事務所勤務、ササキエンバイロメントデザインオフィス勤務、滋賀県立大学環境科学部助教授を経て、現在、千葉大学大学院准教授。
オンサイト計画設計事務所とともに設計活動。

主な作品に、風の丘、府中市美術館前庭、テレビ朝日屋上庭園、Honda和光ビルランドスケープ、ニコラスハイエックセンター緑段などがある。

主な著書に、「風景を読む旅」(丸善)、「アースワークの地平」(翻訳、鹿島出版会)、「モダンランドスケープアーキテクチュア」(翻訳、鹿島出版会)など。

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